大学の現状 成績を付けている最中です

あくまでこの半年に限ってお話です
(毎年同じような人数で同じようなデータがでますが、「昔はこうだったなぁ」とは言いたくないので、ここ半年のお話を)

講師は当スクール以外でも大学で約250人弱を受け持っていました。

その中でTOEICを受けるべき学生は100人程、なのですが全員が受けるとは限りません。

色々な理由で途中で学校をやめる学生もいるからです。

他にも初回から最終回(第15回)まで、とうとう一度も顔を合わさなかったまま、全て欠席という学生もいます。

余計なお世話かもしれませんが、理由が分からないので心配にもなります。

そんなわけで10人くらいは、受けていないと思います。

結論

スコアが高い方は、基礎文法力がしっかりしている。

高い、というのは、年齢が18~25才くらいで、まだ社会人経験がないにも関わらず、650点以上取っている学生と定義します。

社会人経験がないから(別に悪い事ではありません。ただ学生だからというだけです)日本語で「福利厚生」「経費払い戻し」などと言われても、まだピンとこない、など、単語力にハンデがあります。

そう考えたら、学生の650点はすごい部類に入るのではないかと思っています。

そして中には年末のテストでは900点に迫るような学生もいました。

例外だと思いますし、多少まぐれ要素もあったと思いますが、それでも普段の頑張りはすごかったです。
「まぐれ」の一言で片付けるのは失礼だと思っています

若い方の吸収力ってすごいですね。

話せるようになりたい!と本気で動いている学生も、基礎文法力を大切に考えている

実際に、英語のラジオや動画などを見ている学生などはすごくやる気に溢れていると思います!
でも感覚でどんどん先に進んでいる学生であればあるほど、進みが早い分だけ、きちんと行き詰る時期に到達し、きとんと悩み、そしてその現状を打破するには「基礎が大切だ」と、気が付きます。もちろん基礎というのは入試にしか使えない文法ではなく、実際に使える文法の事です。

最終的に、理屈も感覚もどちらも大切だという結論になる方が多いと思いますし、講師もそちら側です。

NetflixやYou tube、Podcastなどを使っている学生たちからは以下のようなご意見を頂きました。
内容は皆さんかなり被っているので少しミックスしています。

英語を英語で考えることと、日本語で理解すること、どっちも必要だと勉強しててすごく思うようになりました。
たとえば英語でNetflixを見て、その中から自分が使えそうな表現や使い方をノートに書き写したり、ひたすら英語を聴くことをやってきたのですが、(それも大事だけど)それだけだと感覚だけになってしまう気がしたん
です。もっと表現を味わうにためには、”文法に対する深い理解”と”英語の感覚的なもの”のどっちも磨いていきたいと思いました。

 

感覚と理屈が対立するものではなく、共存するものだと。そういった循環の中に身を置こうとされている感じがすごく好感を持てます。

この方実際に、半年でぐいぐい伸びるんですけどね。
もとから頑張り屋さんな方です。講師(私)がこの方にどうこうしたとかではなく、多分これまでに習った先生が良い方だったのでしょう。

なんだか後出しじゃんけんのようですいません。 

当スクールはそんなスタンスです。