守破離(しゅはり) なるほど

いやあ、良い時代です。

ネットの動画やら実際のネイティブやら、生の英語に触れる機会は講師が学生の頃と比べ

格段に増えています。

すごい時代だなあ。

そうなると、自分が子供の頃に習った英語と実際にネイティブが使っている英語のギャップというのに

出くわすこともあります。

面白いですね。

自分はこう習った。今の参考書にも同じ解説が載っている。

でも留学先では自分が習った知識が「間違いではないけどナチュラルではない」と指摘されたこともある。

まず間違いなくネイティブが使っている使い方が正しいと思います。

でも、

今まで自分が習った事が「全くの無駄だった」と考えたことはありません。

その経験があったからこそ、理論と現実のギャップに気がつけたんだと思います。

そんなギャップに出会わない人もいれば、ちょっとつらい目にあった人もいるかと思います。

講師は、そのギャップを意識しながら、安心して大丈夫ですよ、とお伝えするスタンスでいようと思っています。

立場を入れ替えて

例えば自分が外国で日本語を教えた際に

現地の子供から「せんせーその日本語の使い方は違うよ」と言われたら

「むむ。ちょっと待ってよ」という気持になると思います。

でもその現地の子供はちゃんと現地の参考書を使って学んでいるわけです。

無下に否定するのもおかしいし、かといって自分が間違っているというのも、

後々になって「せんせーあの時テキトーに逃げたな」と思わせてしまうのも避けたい。

これ「電車に傘を忘れてしまいました」というテキストフレーズを、うっかりカジュアルに

「電車に傘を忘れちゃった」って言った時に指摘された話なんですけど。

守破離(しゅはり)

守:師や流派の教え・型・技を忠実に守り、身に付ける段階

破:他の師や流派の教えも研究し、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階

離:身に付けた型・流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階

動画を見ていると解説している方々にも3タイプあるような気がするんです。

「守を教え方をしている先生」

「破の教え方をしている先生」

「離を探求している先生」

今更ながら、「なるほど、どの先生もすごいなぁ」と思いながら拝聴しております。

すごいなあと思う先生は、多分、なんというか、この守破離の段階を踏んでいるような気がするんです。

よくそこまでネイティブが使い分ける細かいニュアンスまで感じ取って…

という先生には、きちんとしたバックグラウンドがあるように感じるんです。

あくまで個人的な感想ですが。

そこで翻って

自分はどうだろう?どこに興味を持って、どういう伝え方をしているんだろう?

寝る前にたまに思うんです。ごくごくたまに。

よく考えると、これはスクールの前提、立ち位置に関わってくる事なんですけどね。

興味があるのは「離」。

でも自分がやっているのは「守~破」だろうと。

離は教えるモノや学ぶモノではなく、学習者自身が自主的に目指すものだろうと思っています。

自分は、まずは参考書や文法書に載っていて、間違っていないものをお伝えしよう。

学習の効率化を考えた際、

「伝える情報の数を減らした方が体系化しやすい場合」と「数を増やした方が体系化しやすい場合」があります。

個人的にはどちらも大切だと考えています。

ただ、ネイティブは多分「間違いとは言わないけどあまり言わないな」

「理論上は正しいけど、あまり使わないな」

「もしかしたら地域差があるな」と感じるものは

数を増やした方が体系化しやすいケースの中にあると思います。

だからね、迷いの中で教案を何度も書きなおします。

より分かりやすく、より身につけやすく・・・

少しづつ自分も階段を登っていけるような気がするので。

よっこらしょ。ふう。